先生と彼女の事情1

 群せいする躑躅と桜で有名な私立大国学園。
多少宅地と離れた山一帯を校庭とする小学校から高校までの巨大な学校である。
残念ながら躑躅も桜も季節外れながら麗らかな正午。
職員室で弁当を広げる高橋清忠。32歳、独身、細身で眼鏡着用。私立大国学園の平教師である。
すでに昼食を終えて教師達が喫煙所に集まって煙草を吹かしている。
悪いことに高橋の近くに喫煙席所があった。
高橋は咳を繰り返す。高橋は弁当を抱え職員室を後にした。屋上のカギを持って。
 屋上で弁当を食べる高橋。そこへ菅原が現れた。名は桜。長い髪をポニーテールにしてある。背は普通。5年生である。
「だめですよ高橋先生屋上に上がっちゃ先生なんですから」と菅原(すがはら)はにこにこしながら言う。
「他の人達には秘密にしておいて下さい」と高橋は恥ずかしそうに言う。
屋上は普段鍵がかかっていて立ち入り禁止になっている。しかしそれは最近のことらしく古いベンチがそなえつけられている。
菅原は躊躇なく高橋の隣に座る。
「先生はこの場所好きですね」と菅原は空を見上げながら言う。
「私は煙草の煙苦手なんですよ」高橋は弁当を食べながら答える。
「じゃ私達と食べればいいじゃないですか」と菅原が高橋を覗き込む。
自分の瞳を覗きこまれると自分の中に隠しているものまで見られてしまいそうで高橋はそっと目を反らした。
「騒がしいのも苦手で・・・」と頬を染める。
「ちぇっ」と菅原は拗ねて見せた。
「先生!先生は年の差カップルってどう思います?」とさっきまで空を見上げていた菅原が突然言い出した。
菅原の瞳には必死のようなそれでいて何か期待するようなものが窺える。高橋にはその真意は解らない。
「好きな人の相談ですか?年上の」それ位しか思いつかなかった。
菅原は黙って俯いている。顔は耳まで真っ赤である。
恋愛経験の少ない自分に相談するのは間違いだと思った。女性のカウンセラーや同級生に相談するほうがもっと有意義だとも。
一瞬自分への告白かと期待してしまった。しかしそれは冗談めかしてでも言ってはいけない気がした。
 食後の鈍った思考からなんとか言葉を掘り起こす。
「そうですね、私は良いと思いますよ」と高橋は呟くように言う。
菅原の顔がぱっと明るくなった気がした。
菅原の笑顔をもっと見たいとついついよせばいいのに自分の話しをいてしまう。
「私の父は大正生まれなんです勿論戦争も体験しています」と語りだしてしまった。
「よくある話しですよ」
「戦争体験者が自分は一度死んだ身とがむしゃらに働いて気がつけば地位も名誉も持っていいたけど」
「気がつけば孤独だって話しです」と高橋は笑って見せた。
本当に苦笑してしまう。教え子に自分の父の恥とも言える話しを始めるなど。
そもそも子供が喜ぶ話しではないだろう。
つくづく自分は話しが下手だと後悔した。
「それがなにをどう間違ったのか60になる年に一人の少女と恋に落ちたらしいんですよ」と高橋恥ずかしさから頭をバリバリ掻く。
こんな話しするのではなかった。
今時こんな話し小説にも載っていない。
なんとつまらない話をしているのだろう。
しかもよりにもよって・・・。
恥ずかしくて悶絶しそうだ。
しかし菅原は目を輝かせ話を聞いている。高橋にとっては意外な反応だった。
こんなに興味深く自分の話しを聞いてくれる。
授業でもなかったことだ。
「それがお母様なんですね」心なしか菅原の声がいつもより明るい。
高橋は自分でも驚くほど熱を感じる顔でうなずいた。
「お母様はお幾つだったんですか?」菅原は本当に興味がある様で乗り出すように高橋に聞いてくる。
近づく菅原の顔がよけに高橋の顔を熱くさせた。
「・・・14だった・・・そうです」と必死に言うと高橋は頭を抱えてしまった。
高橋はしまったっと激しく後悔した。幼い教え子になんとインモラルなことを言ってしまったのか。
やはり物の弾みでもこの話をするのではなかった。
菅原が喜ぶのは嬉しいが恥ずかしくて死んでしまいそうだ。と抱えた頭のなかで後悔し続けた。
「勇気があるんですねお母様」と菅原が興奮したように言う。
今までにない反応だ。過去に数度友人にこの話しをしたらみな無言で一定の距離をおくか、父をロリコン扱いして笑っていた。
高橋自身父には悪いが到底理解できないと思っていた位だ。
「僕と14しか離れてないからよく兄弟と間違われて」よくわからない感情が一気に押し寄せてきてもう自分がなにを言っているのか解らない状態におちいっていた。
素面で酩酊していたのかもしれない。
「羨ましいですお母様」と菅原は呟いた。
「え・・・」高橋の時間が止まる。
「若い母親って女の理想なんですよ」と菅原がウインクして見せた。これで多少高橋の酩酊が覚めた。
「母は今でも大恋愛だったと言って憚りませんし幸せだと・・・」
「そ、そういう例もあると言うことで・・・許して下さい」と高橋は恥しそうに絞り出した。
「頑張ります先生」と菅原が嬉しそうに高橋に抱きついてきた。
高橋の顔はこれで完全に湯だってしまった。がここで高橋は自分が教師であることを思い出した。
「で、でも節度あるお付き合いですよ」と高橋は引きつった笑いを浮かべる。
「先生ですね」と菅原は言う。
「はい先生ですから」今度はちゃんとつくり笑いができたようだ。
ずいぶん話し込んでしまっていたようだ。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴っている。
菅原ともっと話したい気持ちは多分にある。
しかし今からまた教師の仮面を付け直さなければならない。
「チャイムが鳴ってますよ」と菅原の背中を押してやる。
屋上を急いで降りて行く菅原の後ろ姿を見ながら高橋は
(私は先生だから・・・)
(教師などに成らなければよかった)と菅原を押した手を眺めていた。
 「高橋先生授業ですよ」さっき菅原が降りていった階段に高圧的な女が立っていた。
北河麗華教頭である。年は32歳高橋とは同期だ。
高橋とは対照的に何事も積極的にこなし誰に対してもきっぱりと物を言う。
年配の教師からも一目置かれる存在だ。
比較的若く教頭になったにも関わらず異論がでなかったのもうなずける。
多少押しの強い所があり高橋はどうもこの北河教頭は苦手である。
慌てて教室に向かう。
 
 授業では菅原とよく目が合う。
菅原の目がキラキラと輝いて見える。
高橋は冷静を装いながらお願いだからそんな瞳で見ないでくれと思っていた。
できるだけ菅原を見ないようにしていたが菅原の目を意識せずにはいられない。
だから時々生徒に間違いを指摘されたりする。
自分は美術が専門なのになぜ他の授業もまかされるのか恨めしく思う。
しかしそのおかげで菅原と知り合えあの様な眼差しを受けられるのだからよしとするかと思った。
 
 夜の職員室で仕事を終えた高橋が欠伸と伸びをする。
固まった背中の筋肉が伸びる様で大変気持ちがいい。
そこへ北河教頭の声がする。
さっきまで伸びていた筋肉が急に固まったきがした。
「高橋君飲みに行かない?」と二人しか残っていない職員室。
逃げ場の無い状況で北河教頭がいつものように酒をのむジェスチャーで誘ってくる。
仕事の早い彼女が自分と同じ頃に終わるとは考えにくい。
もしかしたら待っていたのかもしれない。
本当の所は高橋の何倍もの仕事のある彼女とたまたま一緒になっただけだろうが。
「またですか?」高橋は形だけの抵抗をしてみる。
「良いじゃないお互い暇な独身なんだから」暇な?それは自分だけで北河は多忙なはずだ。と思った。
北河が高橋の肩を掴む。高橋は北河の押しの強さをしっている。高橋に拒否権などないのだ。
 バス停まで来た所で高橋が財布を忘れてきたことに気付いた。
運の悪いことにバスが来てしまった。
「先に行ってくださいすぐいきますから」とすでに高橋は駆けだしていた。
この時間でも10分くらいで次のバスが来るはずだ。そんなに遅れないだろうと高橋は思った。それは北河も同じようで
「そう、いつもの店だからね」とバスに乗り込んでいった。
 
 最近は昔ほど運動部も夜遅くなるまで活動をしなくなった。
物騒な事件も起きているし何より経費削減のためできるだけ日が暮れてからの活動は控えるというのがこの学園の方針なのだ。
だから体育倉庫の明かりが見えた時運動部の消し忘れだと思った。
 日頃の運動不足から駆け足ですら長く続かない。しかもこの学園の敷地は普通の学校と比べても広い。
体育倉庫へいくのなら職員室がある本校舎への道をそれなければならない。
倉庫の電気を消し忘れた者を恨めしく思いながらも倉庫に近づく。

 体育倉庫からは声が漏れている。一瞬怪談にでも遭遇したかと思ったが誰か中にいると考えるのが普通だ。
学校に忍び込んで悪さをする者もいると聞く。
今さっき自分の体力のなさを嘆いたばかりだ。自分の細い腕を眺めてみる。
幸いにも聞こえてきたのは女の声だった。そっと倉庫に近付いてみる。

 女の上擦った声。僅かに混じる男の声。明らかに男女の逢瀬の蜜音だった。
明かりが漏れていたのは天井近くの窓と分厚い鉄扉の隙間だった。
微かに開いた扉の隙間から覗くとそこでは男女が体を絡ませ合っていた。
否、正確には絡みあえずにいた。男女の大きさが余りにも違うために絡み合ってはいなかった。
男女ともに見覚えがあった。
女いや少女はたしか5年生の浅田小雪だ。背は多少高い程度だったがバレー部にいたはずだ。
この子のクラスは美術しか教えてない。この子の情報などこの程度しかない。
その彼女に覆いかぶさっている男の方は長身でがっちりとした巨漢。こちらの方はよく知っている。
教師の後輩山里重文28歳だ。体格に似合わず身軽でバレー部の監督をしていたはずだ。
裏表のない良い教師だと思っていいたのに・・・。

 高橋は動けずにいた。どうしていいのか分からなくなっていたからだ。

 大きな山里にかくれほとんど浅田の姿は見えない。
さっきちらっと顔が見えていらいほとんど表情も見えない。
すでに気絶しているのかまだ苦しんでいるのかそれさえ解らない。
山里の息が荒くなる。山里の体が僅かに振るえ気だるい息を吐く。
その時だ。高橋は浅田と山里の姿が自分と菅原に重なった。高橋はそれを振り払うように体育倉庫の扉を開けた。

気だるい雰囲気でお互いを見つめていた山里と浅田は凍りついた。
「山里先生あなたはなんと言う事を・・・教え子と」と高橋の言葉に山里は言い訳をしなかった。
パニックを起こしてなにも思いつかないだけかもしれないが。暴れだされなかっただけでも高橋には幸いだった。
山里を押える力など高橋にはない。
「高橋先生、山里先生を責めないで」と浅田が縋り付いてくる。高橋にはその反応が意外だった。
完全にレイプだと思いこんでいたからだ。
「浅田さん君は解ってないかもしれないがこれは・・・」狡賢い大人が子供をだまして合意したように思わせることもないとは言えない。
高橋の頭にもそれはあった。
「解ってますセックスです」浅田の強い言葉に高橋の方が気後れしそうだ。
「私達恋人なんです」と浅田のすがりつく様な目に高橋は負けてしまった。
少なくとも浅田は本気であろうと思われた。必死に山里をかばう20歳以上年下の彼女に母親のような香さえ感じていたのだから。
高橋はかるい目眩を覚えた。自分の心のなかで何時までも消えない誰にも見られてはいけない思い。
自分は男である。この思いを伝えてしまったら必ず業がでてしまう。それは必ず彼女を傷付ける。そのため深く深く封印しているのだ。
それが目の前にいとも簡単に越えてしまった者がいる。
「山里先生本当なんですか」高橋の声は低く凄みを持っていた。それは山里への非難より嫉妬が大きかったのかもしれない。
「本当に性処理のために浅田を抱いてないといえますか」本当にこの言葉を吐いているのは自分か。と高橋は思った。
自分にも羨望や嫉妬があるそれなのになぜこんなに冷たく冷静に言えるのか。
「解りませんただ浅田が好きで好きでたまらないんです」と山里は大きな体を小さくたたむように泣いた。
高橋の思考は現実から離れていた。浅田の裸を見ても何も感じない。やはり彼女ではないからか。
少女が好きな訳では無いことに高橋は安心を覚えていた。
ここにいたのが浅田でなく彼女であったのなら多分自分はこれほど冷静にいられはしないだろうとも・・・。
浅田と山里が無言で高橋を見ていた。高橋はしばし自分が現実を離れていたことに気付いた。
どうやら二人は高橋の沈黙は自分達の処分を考えていたと勘違いしているようだった。
「浅田さん君は帰りなさいご両親が心配する」これは偽らざる思いだったが山里と二人になって話したいのも事実だった。
今自分の中を駆け巡っている怒りが純粋に正義感からなのかそれとも自分ができないことをやってしまった者への嫉妬なのか確かめたかったのだ。
「嫌です私が帰った後で山里先生を警察に連れて行くつもりでしょ」浅田は山里との仲を裂くつもりだと勘違いしているようだ。行こうとしない。
「違いますただ少し山里先生とお話があるだけです」と高橋が説明してみるが信じないだろう。
「嫌です私山里先生に会えなくなるなんて」とボロボロ涙を流しながら浅田は抗う。
女性の涙はそれだけで男に訴える力がある。それだけで男を無力にしてしまう。
「しかたないですね、山里先生浅田さんを送ってやってください夜道は危ない」と高橋は溜息混じりに言う。
山里から話を聞くことはいつでもできる。今日はその日ではないようだと高橋は思った。
 確かに浅田の涙が高橋の怒りの炎を鎮火してしまった所はある。
しかし本当の所は高橋の中の計算高い所が自分を紳士的に見せようと偽りの冷静をいつも装わせる。
高橋の自分で嫌いな所の一つだ。

 いつもの居酒屋に高橋がついたのは予定より大幅に遅れた時間だった。
高橋がなかなか訪れないためだろうか。北河はすでにかなりの飲酒をしているようだった。
高橋が遅れて行ったからといって北河は説明を求めない、絡んだりもしない。
しかしビールの大ジョッキを黙って高橋に差し出す。それがかえって怖いのだ。
北河は黙って自分の中ジョッキを差し出す。
一瞬意味が解らなかったが乾杯なのだと気がつく。
カチっと小さく音を立てジョッキを当てる。
北河は3分の1ほど残っていたビールを一気に流し込む。生おかわりなどと店員に言っている。
対象的に高橋はビールを軽く飲んだ程度だ。
「北河先生、女性は何時から女なんですか?」と重たい大ジョッキに口の方をつけながら尋ねた。
「そんなの産まれた時からに決まってるじゃない思春期になったからっていきなりあれがポロリッと落ちたりしないわよ」けらけらと笑いながら言う。
ずいぶん酒がまわっているようだ。しかしいつもこんなもんかと高橋は心のなかで呟いた。
「冗談よ、なにかあった?」飲酒者特有のハイテーションで北河が大声でしゃべる。
「ええまあ少し」と高橋はさっきの浅田の瞳を思い出していた。あの強い瞳に負けないようにビールを飲んだ。
「ほら~男って男の子って時期があるじゃない」と北河は煙草を咥えた。
「あれ女にはないわ少なくとも私にはなかった」ふ~と煙草の煙を高橋に吹きかけ、噎せる高橋を楽しんでいるようだ。
「初心も妖艶も全部初から女は持ってるわよ全部、女は生まれた時から女よ」と煙草を咥えたままにっと笑った。
高橋は黙ってビールを飲んだ。

 昨日の飲み会は深夜まで続き当然のごとく高橋は二日酔いになっていた。
 自分の倍近くも飲んだ北河が朝から何事もなかったように仕事をこなす姿をみてより一層二日酔いがひどくなった気がした。
 幸いなことに今日の一時間目は専門の美術だ。しかも各自それぞれ静物のデッサンをさせる授業。
生徒にはわるが休息とさせてもらおう。
しかしそんな秘かな願望を打ち砕いたのは他のだれでもない菅原だった。

 にこにこしながら菅原が話しかけてくる。二日酔いの頭には少女の声は響く。
「先生何年生まれですか?」菅原がスケッチブックではなく可愛いキャラクターが描かれた小さなメモ帳をもって現れた。
「昭和49年だけど・・・?」と縋りつく様に教卓に座る高橋は唸るようにいった。
「何月何日ですか?」ぐったりする高橋に構わず菅原は元気よく尋ねる。それが高橋にダメージを与えているとは考えもしないだろう。
「7月2日・・・」答えるのも必死だ。
「7月2日の蟹座と」菅原は慎重にメモし「有り難うございました」と頭を下げて席に戻った。
高橋には菅原の目的が皆目見当つかなかったが頭に響く声から解放されて安堵した。

 昼休みいつものように高橋は屋上で昼食を摂っていた。そこへ山里が現れた。
「高橋先輩誰にも言わずにいてくれたんすね」と山里は頭をさげた。
 高橋は特にその姿に何も思わなかった。また菅原でも現れないかと期待していたら山里が現れて多少がっかりした程度だ。
「君のためじゃないさ」と高橋はそっけなく答えた。
昨日はあれほど確かめたかった、燃え立つような感情も今は感じない。
今はこの一人の時間を邪魔されたくないだけだ。と高橋は溜息をついた。
「変と思われるでしょうけど俺浅田との事は本気なんすよ」と山里は言った。
顔を真っ赤にした巨漢の山里彼がどこまで本気か分からない。しかし自分には関係ないことだと思った。
 高橋の沈黙を山里はどうとらえたのだろう。
「俺べつに子供には興味ないんすよ」山里は誰に言い訳しているのだろう勝手に話し続けた。
「おかしいと思うでしょでしょうけど俺ロリコンじゃないんす」と山里は墜落防止ネットにもたれる。
「ロリコンじゃなかったはずなんすけど・・・」
「浅田だけなんすよ」と恥ずかしそうに頭を掻く。
「女性と付き合った事がないわけじゃないんすよ、でも浅田を見た時ああそうなんだこの人なんだと思ったんすよ」と言う山里。
高橋は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。自分も同じだったのだから。
さっきまでロリコン、幼女趣味と軽蔑さえしていた、男が実は自分と同じなのではないかと今は妙な近親間を覚えている。
高橋の頭をかすめたのは菅原だった。
「別に少女がすきなわけじゃ無いんすたまたま好きな人が子供だったってはなしで」と必死に山里は言葉を探しながら言った。
高橋も無意識に頷いていた。
「自分でも信じられなっかったっす相手は子供だし年だって離れてますし」
「君はまだ良いよ」と高橋はつい言ってしまった。
「え?」
「いや続けて」高橋は咳払いをして言う。
「教師と生徒でしょ絶対に浅田に告白はしないって心に決めたんす」
「何年かして町で偶然・・・」
「なんてありもしない妄想を期待にしてたんです」と照れくさそうに山里が言うことに高橋も苦笑しながら頷く。
もしかしたら自分が思っている以上に山里は自分に似ているのかもしれないと高橋は思い始めていた。
「そしたら浅田の方から告白されたんすよ」と山里が恥ずかしそうに嬉しそうに言う。
「それでつい・・・か」と高橋は吐き出すように呟く。
「面目ない・・・」山里は頭を掻いた。
「解ってたはずなんすよ彼女のはただの憧れ、誰にでもある幼い性への興味」巨漢の体育会系が言うには随分センチメンタリズムだと高橋は思った。
「山里先生・・・」と高橋が言う。
「は、はい」山里は緊張し直立不動になる。
「できればもうしないほうがいい」
「はい・・・」
「男ですから気持ちはわかりますよ」
「でも」
「体を求め会うだけが愛ではないはずですよ」
「体をかわすのではなく情をかわしましょう」
山里は深く頷いた。
 階段の所で浅田が不安そうに待っていた。山里が浅田の背をポンと押してやる。
山里の笑顔で浅田の顔もほころぶ。浅田はペコリと高橋に頭を下げた。
「山里先生、君達の赤い糸が本物であることを祈っていますよ」と高橋は呟いた。
 
「似合わないことを言った。」一人になった屋上で高橋は呟いた。

 さっきの言葉はだれにいったのか、だれに言いたかったのか。山里を諭したのかそれとも・・・。
 
その日の菅原は元気がなかった。
「どうしたんですか菅原さん?」と高橋が尋ねた。
「先生昭和49年の500円玉ってないんですね・・・」と本当に残念そうに菅原は言った。
「そうですね僕が生まれてからですから500円が硬貨になったのは」菅原がなぜ落ち込んでいるのか高橋にはまったく解らなかった。はげまそうにも言葉が見つからない。
「そうですか・・・」と菅原は溜息混じりに歩いていった。

 

 日曜日は雨だった。
人が殆んど乗っていない古いバスに菅原の姿はあった。
相手の生年月日の500円硬貨と自分の生年月日の500円硬貨を同じ財布に入れておくと恋が叶うと云う雑誌の記事を菅原は見つめていた。
「500円玉なかったな・・・」と菅原はため息混じりに雑誌を見ていた。
 バスを降り傘をさす。バスの停留場は古ぼけた標識だけが立っている。菅原はそれを見上げていた。
「本当に高橋家前ってかいてある」
バス停の直ぐ後ろ。大きな屋敷を見上げた。
 チャイムを鳴らすとインターホンから女性の声が聞こえてきた。
「どちら様ですか?」とたずねられ
「私菅原桜と申します、高橋先生の教え子です」と答えた。
 中から操作するのか目の前の立派な鉄の扉が開いた。
 広い庭を抜けた先に屋敷の入口が見える。
菅原がすすんでいくとちょうど屋敷から着物姿の40半ばとおぼしき女性が出てきたところだった。
 屋敷の中に入ると日本家屋には珍しい美しいピアの旋律が聞こえてきた。
菅原が不思議そうな顔をすると女性はくすりと笑った。
 女性に案内され菅原が高橋の部屋につくとピアノを弾いていたのは高橋だった。
「清忠お客さんですよ」と女性が声をかける。
「え?」と振り返る高橋。菅原の姿に驚いているようだった。
「有り難う母さん」と菅原を見つめ不思議そうな顔をしたまま言った。
菅原は思っていたより高橋の母が若いのでおどろいた。それがわかったのだろう高橋の母はにっこりと笑うと去って行った。
 広い部屋だ。グランドピアノを中心に数多くの絵画が飾られている。日本家屋なのにこの部屋は洋室のようにつくってある。
 しかし生活用品が見当たらない所を見ると誰かの部屋というわけではないようだ。
ピアノを弾く部屋多分そんなところだろう。
「客間へ行きましょうか」と高橋は笑んだ。菅原も促されるまま歩き出した。
「菅原さんには洋間の方がいいかな」と高橋は独り言をつぶやいている。
「母さん2階の方の客間でいるから」高橋は女性が消えた方に声を上げる。
2階の方。この家へは客間が幾つもあるんだと菅原は思った。
 テレビなどでしかみることのない明治ごろの屋敷。和と洋が不思議なコントラストを醸し出す今は存在しない不思議な空間。
菅原はその世界になんど憧れたことか。それが今自分の周りにある。
自分の住む家も一軒家だがこんなに広い部屋など想像もできない。
ここにある全てのものがとても高価そうだ。ソファーも絨毯もなんとさわり心地のいいものか。
ついはしゃいで壊してしまったらと思うと緊張する。
「菅原さんよくここが解ったね」と高橋に急に声をかけられて体が固まった気がした。
「は、はい事務のおじさんに聞きました」と緊張しながら答える。普段ならこんなに緊張しない。
しかし学園内とこことではあまりにも雰囲気が違いすぎる。
「本当に高橋先生の家がバス停になってて驚きました」事務の人に高橋家への行き方を聞いた時行く方面だけ教えられ後はバスが家の前まで連れて行ってくれると言われた。
からかわれているのかと思ったがまさか本当だったとは。
「他は畑ばかりで目印になるような物がないからだろうね」と高橋は笑う。広大な敷地の高橋邸だ絶対にそれだけじゃないと菅原は思った。
 高橋の母が飲み物をもって現れた。
「珍しいわね清忠にお客様なんて」高橋の母はココワをくれた。
「しかもこんな可愛い娘さんなんて」と菅原の頭を撫でる。
「清忠が就職して初めてじゃないかしら」と母は笑う。
「違いますよ前に北河教頭が来たじゃありませんか」
「ああ、あの酩酊して泊まっていた人ねでもあれはお客様と言うのかしら?」と母が考えていると。
「そんなことはいいじゃないですか早く行ってくださいよゆっくり話せないじゃないですか」
「そやって母親を除けものにする」と不満げではあったが母は部屋から出て行った。
「ゆっくりしていってね桜ちゃん」とウインクを残して。
 暫くの沈黙が襲う。
「・・・先生のお母さんお若いですね・・・」話し始めたのは菅原のほうだった。
「ええ本当に若いんですよ私と14しか違わないんですから」と高橋笑む。
「綺麗な人ですね私自信なくしそうです」とチラッと高橋を上目使いで見る。
「大丈夫ですよ菅原さんは可愛いですから」と高橋は言う。高橋が可愛いと言ってくれるだけで菅原は蕩けそうだった。
「そういえば菅原さんはどうして我が家へ?」と高橋が問う。
菅原は黙ってしまった。
「先生・・・」菅原は言いにくそうにもじもじしている。そして意を決したようだ。
「先生・・・私・・・先生の・・・先生が・・・」口をパクパクしているが言葉にできない。
「先生の家を見に来ました」やっと飛び出したのはそんな言葉だった。
そんな言葉が言いたかったわけではないバスのなかで何度も練習したはずだったのに結局本人の前では酸素を奪われたように息苦しくて、息苦しくて結局言えたのは全く関係のない言葉だった。
菅原の声の大きさから高橋はびっくりしているようだった。やがて
「よかった、そうですか」と笑んだ。
なにが良かったなのか菅原は必死に探る。自分が嫌いなのか・・・。
ほんの数秒で何かを探り当てることなどできるはずも無く高橋の次の言葉が出た。
「年上の好きな人の相談かと思いましたよ」と心底ほっとしたようだ。
その姿を見ていて菅原の胸は苦しくなる。その年上の好きな人は・・・・。
目の奥が熱くなるのが解る。言ってしまいたい。言いだしたい。言え。言ってしまえ。菅原は心の中で反復したが結局口から出ることはなかった。

 高橋は屋敷を案内してくれた広い屋敷だった。それでいて綺麗に掃除されている。本当に高橋の母一人で掃除できるのだろうか。
「数名お手伝いさんが通ってきてくれてすよ母はあれで会社を経営してましてね居ないことの方が多いんです」と笑って教えてくれた。
 高橋の絵を描いている部屋に入った。たくさんの完成、未完の絵画がディーゼルの上に乗っている。
 なかには多数、女性をモデルにした絵もある。それが菅原の心を掻き乱す。
自分では平静を装うがはたして顔にでていないだろうか・・・。
「先生今好きな人いる?」菅原の精一杯の言葉だった。
「いますよ」と高橋は静かに言った。
菅原は本当に心は胸にあるのだと思った。胸が痛い。息ができない。聞かない方が良かった。今にも心が胸の皮を引き裂いて飛び出しそうだ。
「けして手の届かない人なんですよ」と高橋はつづけた。
「思いを告げるのは大人になっても怖いことなんですよ好きなら好きなだけ失うのは怖いですから」と菅原の頭を撫でてくれた。その後は菅原の頭を撫で続けるだけだった。
菅原は少しだけ安心した。高橋先生には好きな人がいる。けど恋人がいる訳じゃない。これなら自分にもチャンスがあるかもしれない。
どうやら心が張り裂けるのは止まったようだ。代わりに心臓が強く脈売っているのが解る。
「私には勇気がないだけです菅原さんならきっと手が届くと信じてますよ」と高橋は優しく言う。
「はい頑張ります」と菅原は強く頷いた。

 まだ雨は止まないようだ。菅原は赤い可愛い傘をさしている。
「じゃ先生また明日」と大きくお辞儀して元気に帰っていった。
高橋と母が見送る。
「あの娘私と同じ匂いがする」
「清忠母さん本当は女の子ほしかったのよね」と笑う。高橋には母の真意が分かない。
「ほんとに父さんによく似てきたね」そう母は笑った。