何とかイタリア到着ローマの近くの町でホテルを取る。
バスの中があまりにも暇なので現状況下で市街戦が起こったと夢想してみる。
この時20時間ほど眠っていないないので軽く壊れている。
ホテルの中は日本の様に部屋全体を照らす灯りは無く、ベッドの頭元に僅かな灯りがあるぐらいだ。
夜(早朝)であることもあって薄暗い。
この旅行で使ったホテルの全部が自然光を使うようになっており電燈事態はたいした明りにならない。
シャワーを浴びて就寝。この時ちゃんと身体を温めておけばと後々後悔する事になろうとは・・・。
翌朝。相棒と共に部屋を出る。
食堂は地下にあるが、ここも自然光を取り込むようになっている。
食堂自体はたして大きくなく20人ほどが入るほど。
食事はよく日本のホテルなどにある、バイキング方式。
若干お上品と言うか、品数が少ない。スクランブルエッグ。生ハムが2種類。パンが2種類。チーズが3種類(形が違うだけかも)。コーンフレーク。ミルクとオレンジジュース。
私はハムとスクランブルエッグ、コーンフレークを大量に食べた。
相棒はおどろいていたし自分でも食べすぎかと思ったが、難なく入った。
味はそこそこだがいっぱい食るここ20時間で機内食1食しか食べてないから腹が減っているのさ。
ホテルの自動販売機で水を買う。
ホテルや店以外などの建物内にしか自動販売機が無く少々日本人としては不便を感じる。(500ccで日本円で84円ここが1番安かった)
後のフランスでもそうだが基本的にヨーロッパでお茶と言えば紅茶。
しかもカフェで飲むあれのみ。
日本の様に気軽に飲む感覚がない。
その代わりに炭酸入りの水を置いてあるのだが、私には合わない。
味の無い水を飲む度にお茶が恋しくなる。
正に故郷は遠くに有りて思う物だ。ジュースも酒もあるが、ずっと飲める物でなし、やっぱり水ばっかり。
朝食後ローマに住む日本人のガイド(男性)と合流。
バスで観光地に向かう。
バスを降りて5分強歩く。
建築物の違いに驚く。日本で石造りの建物といえばレンガか漆喰の土蔵が殆んど。
しかも古い物は殆んど残ってない。
それなのにここでは馬車の馬を繋いでいた楔が残っている。
古いものを大事にしているなと感動した。
古さも大きさも段違いなのだ。
日本では国ぐるみで日本家屋は地震に弱いから建設大手が造るB級住宅に変えようと宣伝している。
先の大地震で倒れた日本家屋はそういう大手が作った、日本家屋に見えるだけの家が大半だったというのに・・・日本人は何時から自分の文化を忘れたのか少し悲しくなる。
初の観光場所は殆ど記憶が無いなぜならこの後すぐに私の身にとんでもない事がおこるからだ。
数年後にあほな奴に赤く染められるトレビの泉であった事は覚えているが・・・。
一つ目の観光を終え、次は皆様お待ちかねのお買い物。
私はそこへ向かう途中右足が痙攣して倒れそうになったため左足に力を入れると左足も痙攣した。
そのまま倒れこんでしまった。
運悪く横断歩道のど真ん中信号も点滅し始めたために、教官とツーリストに両脇を抱えられ引きずられながら向こう側まで運ばれた。(私はナサに捕獲された宇宙人か!)
激痛に両足を押える私。
こむら返りを起したようだ。
しかも脹脛だけでなく太腿も成っている。
最悪である。
泣きそうな私を心配していたツーリストも団体の進行が優先であり、そちらに向かった。
その場に残った相棒と教官が一人。
目の前が目的地の商店街のため相棒を行かす。
私が座り込んでいた道路を挟んですぐ向こうの店の人が椅子を貸してくれた。
その人は日本語ができるようで親切にしてくれた。
椅子に座っていると通りがかりの人に物乞いに間違われ50セント位渡されそうになる。それを見かねたさっきの店の人が店の中に入れてくれた。
店の中ではツーリストがいた。
皆、思い思いの買い物をしているらしい。
ツーリストがシップ薬を買ってきてくれるらしい。
30分ほどで帰って来るがシップ薬を売っているところが無いとの事。
近くには中国人がやっている漢方薬の店しかないと教えられる。
私は包帯と幾つかの薬草を頼み自分で作ると言うが、却下される。
見るからに毒々しく赤い唐辛子入りのシップを張られる。
火傷の様な痛みが走る。
二重に痛い。
何とか多少歩けるようになったのでその店の二階に上がる。
下は旅行者用のお土産、上は日用雑貨の様だ。
そこで数人の旅仲間を見かける。
皆ウインド・ショッピングをしている。
かく言う私も彼らを観察しているだけなのだ。
とことんこの店に恩恵をもたらさない集団だ。
足の悪い私を残して皆次の観光地バチカン市国に行ってしまった。
バチカン市国は1番楽しみにしていたのに残念だ。
二階で店の女店主が日本語で話し掛けてくれた。彼女は日本にもいた事があり親切だった。
私が漫画家を志している事を教えると若い女性の店員を連れてきて彼女もデザイナーを志していると教えてくれた。
店員の方も少しはにかんだ所を見ると彼女も日本語ができるのか?
当時ヨーロッパ系の人達に漫画家を説明するのには苦労した。
漫画家という職の認知度は低く漫画そのものを指す言葉はあっても職業を指す言葉は思い当たらない。
そのための説明が上手くできなかったため、絵描きの一種だろうと思われたようだ。
店を出てすぐタクシーを捕まえる。
どうやら目的地は予約しておいたレストランらしい。タクシーを降りるときにツーリストと運転手が揉めていた。金のことか?
レストランに入る。
20人分位皿とフォークが用意されておりそこが指定席の様だった。
まだ団体は到着しておらず教官と話をする。
店の方は地中海が似合う店だ。清潔そうで、でも何処かアバウトでなかなか私好みだ。実にピザやイタリヤ料理が似う。
20分弱団体が到着。皆が着席して間も無くピザが運ばれてくる。しかも日本の配達ピザの1番大きいやつが丸々1つ、各人に1枚ずつだ。
ナイフとホークが各人に配られているがそれよりお手拭かフィンガー・ボールが欲しいところだ。
飲み物は各人注文。
私は葡萄酒を飲みたかったのだが、教官に足が血行障害を起しているからだめと言われる。
多分、軽いエコノミー症候群。座席はビジネスなのに・・・。(昨日ちゃんと身体を温めておけば・・・っち)。
食事中にバチカン市国に入りたかったと相棒に恨み言を言うと、中には入れなかったとのこと少し残念だが救われた。
食後はバスでの観光。オリンピック発生の地とか、5年後のオリンピックの競技場予定地とかをバスから眺めながら観光。
オリンピック発生の地は芝生が生い茂っただけの広い土地説明が無ければ解らない。
5年後の競技予定地は工事が始まっており基礎は終わっていた。
しかし地元の観光案内人は、イタリヤの職人は悠長でオリンピックに間に合えば早い方だと言う。
実際私は5年後オリンピックぎりぎりで工事を終えるそのスタジアムをテレビで目撃している。
日本人が勤勉すぎるのか?
次にバスが止まるのはローマの休日でお馴染み真実の口。
残念ながら門が閉まっており直接触る事はできずに眺めるだけ。
映画でオードリヘプバーンが乗っていた同型の自転車が側においてあって多少満足。
近くの映画撮影地の坂から滑り降りたろか。
もし相棒が真実の口に手を突っ込めば食いちぎられるだろう。
私の腕は太いから食いちぎられる事は無いだろうが、那由多の時間が過ぎても離してはくれまい。
真実の口の次はコロッセウム。
映画グラディエーターの舞台。
工事中でこちらも中に入れなっかた。 少々不満。
しかし外で見る分には巨大で日本には無い文化だと改めて実感させられる。
工事中につき触らないでくださいと注意される。
鳩と鳥が大挙して巣を作っているらしく糞で触りたい物ではなかったがな。
リングは四角なのになぜリング(円)と言うのかはコロセウムが丸いから。元々闘技は円の中でやっていた名残らしい。
今では闘技場を指すアリーナはギリシャ語の砂が語源らしい。コロセウムの砂は随分と血を吸っている事だろう。
ガイドの説明を聞いた後に振り向けば、観光客相手にローマ時代の衣装をきた人達がいた。
皆その人達と写真を撮っていたが私は、衣装は古代クレッタ島様式が強いのに小物が違う事に凄い違和感を感じ撮らなかった。
寒空の下、薄着で仕事をする彼らには感服したが。意外と神経質な自分が嫌になる。
適度な所で妥協すべきか。こういう時に知識が邪魔になる?
この後は観光地ではないがツーリストが気を効かせ、ローマの町が良く見える所に案内された。
確かに眺めは良い、高台にあるために少々風は強いが。そこから一望できる眺めは素晴らしい。
石造りの家々。時々現れる巨大な教会。家々の屋根は日本の朱ともまた違った朱色。
新しい家は殆ど無く町並みが統一されており集団の美を見せてくれる。傾斜が40度位ありそうな急な坂道を登り降りさせられて足の痛い私は地獄を見たがな。
観光地ではないためだろう、出店も無く観光客も我々以外いない。
白人系の人が二人先客でいる。一人は女性で望遠のカメラを覗いている。もう一人は男性、詩のような物を書いている。
バスに乗り込み本日からの宿にむかう。目的地はメディチ家の箱庭フェレンッテェだ。